2017年9月12日「小説の初心者」とは新人賞受賞者のことだ
鈴木輝一郎小説講座の受講生の作品のチェック。あと、講座通信の編集の段取り。9月の講義の準備と10月の作品講評者の人選。あと、提出された作品の目通しとレスポンスをぼちぼち。
受講生が100人を超えると、「初めて長編を埋めた人」「予選をいったりきたりの人」「予選は通るけどその先がなかなか」というレベル別にアレンジできるのでラクにはなった。
講座で作品講評するのは長編を書き上げて投函した人だけ。長編を書き上げるのはかなりハードルが高く、「埋めるだけでいいから」とどれほど言ってもなかなかたいへんだった。
実は、「尻を叩いたり励ましたりしないと長編を書き上げられない人」は、デビューしてもプロでやってゆけない。だもんで何年か前から受講生を励ますのをやめた。ちやほやしたり無理やり書かせるよりも、書かずにいられない時が来るのを待つほうが、結局は伸びる。
提出作品のコメントは厳しい目に書く。脱稿するとその瞬間、「脱稿ハイ」になって自分が巨匠になったと勘違いするケースが多いので。
作品内容については、細かく指摘するよりは次に続くよう、大雑把なものにとどめる。
毒麦が混ぜられた麦畑は、麦がじゅうぶんにのびてから選ぶ。「麦がじゅうぶんに伸びる」とは、「新人賞を受賞して担当の編集者がつくこと」。
小説講座の先生の仕事は、良い麦と毒麦を選ぶのではなく、どちらも刈り取りができるまで伸ばすこと。受講生の作品は、可能な限り何もいわないほうがいい。
小説の新人賞は、受賞してはじめて「初心者」になれる。だから、鈴木輝一郎小説講座は「初歩」以前の話を中心にするし、初歩的な話を繰り返す。
つまり何がいいたいかというと、「もっと勉強しろ輝一郎」ってことでござる。