Twitterで「小説技法上の視点者について」って雑談をしたのでそのまとめ。
小説技術的に「視点者を固定したほうがいい」というのは「そのほうが簡単に書けるから」ってことで、それ以上のことはないっす。
視点を揃えると「誰の目から書かれているか」の説明をせずに済むし、「視点者が知らないこと」は「謎」になるから謎を作りやすい。
つまり、このセンテンスは誰の目から書かれているか」が一瞬でわかって、「謎」を作ることができれば、視点の統一はこだわらなくていい。
もっとも、多視点で書く場合、視点者のキャラをきちんと作っておかないと、どの視点者のメンタリティも同じになる。
「神の視点で書きました」と主張する小説家志望者の原稿をチェックすると、
1)視点者のメンタリティがみんな同じで結局著者のひとりごと
2)視点者の違いが理解できなくて、単にぐちゃぐちゃに書いていて読者に映像が浮かばない
のどちらか、あるいは両方。だから「視点者を揃えて書くほうが簡単ですよ」と教えています。──上記ふたつの要素がある多視点の作品は、「読みづらい」どころか「何が書いてあるのかわからない」ことがとてもおおいんで。
ミステリの場合、「視点者(読者)からはわからない謎」の存在は不可欠なので、視点者についてやかましく言うことはありますけど、絶対的なものじゃない。